岩本勝之助
それはともかく、いまそのニューカッスル、サ ンダーランドを中心に、日産を初めとする日本企業が約40社、英国人雇用者を多数かかえて、英国経済を支えていることを思うと隔世の感に堪えない。そしてそうなったのも岩本勝之助や深尾貝作 らが技術を積み研鐙に励み、あるいは不慮な出来事で志を全うできなかったことの積み重ねの結果である。彼ら先人の努力があったればこそ、今日の日本の繁栄があったのである。
- 関口英男 (文化学者、翻訳家)
1871年、山口県出身の15歳の学生、岩本勝之助は、岩倉使節団の一員として世界の半分を越える旅に出ました。この使節団は、日本が西洋の制度や産業から学び、近代化を目指すためのもので、官僚や学生が欧米の機関や産業を視察しました。岩本は岩倉具視と共にアメリカを訪れ、その後イギリス北部のニューカッスルにたどり着き、現在のニューカッスル大学で学ぶ日本人留学生の先駆者となりました。
英国に到着した岩本は、当時の技術と産業の進歩を学ぶ少数の学生の一員として、深くその分野に浸ることとなります。同じく英国に留学していた東郷平八郎も日記で彼との面会を記しています。
岩本はニューカッスルで特別な研修と学びの機会を得ました。タイン川沿いの造船や機械技術で知られるニューカッスルは、工学と産業発展の中心地でした。彼はアームストロング工場で工学を学び、新設された科学カレッジ(後のニューカッスル大学)で講義も受け、日本の技術基盤を築くべく勉強を重ねました。
ニューカッスル滞在中、彼はウェストゲート通りにあるグリーンフィールド・テラスに住み、学業を超えて地元のコミュニティにも溶け込みました。知的で礼儀正しく好奇心旺盛な性格で、多くの地元の家族に歓迎され、英国の社会と政治について学ぶ機会を積極的に活かしていたと言われています。


しかし、岩本の将来は悲劇的な結末を迎えました。4年間の勉学と研修の末、彼は結核を患い、1877年に20歳の若さで亡くなりました。その死はニューカッスルで悼まれ、地元新聞「ニューカッスル・クーラント」にも彼の功績と早すぎる死を惜しむ記事が掲載されました。彼のお墓は現在もエルズウィックのセント・ジョンズ墓地にあり、研修先だったタイン川を見渡せる場所にあります。
岩本の物語は、ニューカッスルと日本の関係の象徴となり、今もなお国際的な交流と学びの重要性を示すものです。




東郷提督の日記
東郷平八郎は日本海軍の有名な提督で、1911年にニューカッスルを訪れ、彼の船が多く建造された造船所を視察しました。1870年代には若き学生として英国に留学していました。彼の日記は東京の原宿にある東郷神社に保管されています。
Newcastle Courant, June 29, 1877
日本出身の岩本勝之助は、当時の賢明で知恵深い指導者たちによって西洋文明の芸術と科学を学ぶために欧米に派遣された名家の青年の一人でしたが、ニューカッスルで最近亡くなりました。
岩本は数人と共にニューカッスルに来て、タイン川で名高いウィリアム・アームストロング卿やホーソーン社などの大規模な工業施設で働きました。約4年間滞在し、学業と仕事に勤しんでいましたが、単なる機械技術の追求にとどまらず、社会的および政治的生活への知的関心を持ち、様々な知識を吸収しました。
彼は町や近隣の多くの家庭を訪れ、知性と礼儀正しい態度で歓迎されていました。その若すぎる死は多くの人々に惜しまれています。




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